ISO感度のオールナイトニッポン

ISO感度のだましうち!

ISO感度がビッグシティ東京で感じた事を語り、紡ぎ、一本の糸にし、それでセーターを編んでいくポカポカブログ!

Creepy Nuts武道館 〜ルサンチマンと肯定、超克〜

 

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11/11(水)、Creepy Nuts One Man Live「かつて天才だった俺たちへ」日本武道館公演に行ってきた。

 

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Creepy Nutsは今年の初め頃からオールナイトニッポン0でその存在を知り、それからすっかり虜になっていた。そこからHIP-HOPもたくさん聴くようになった。

とにかくCreepy Nutsには人生を救われてきた。

世間によくいうHIP-HOPといえば、イカつい格好した人が喧嘩だのドラッグだのをテーマに歌ってるイメージだ。自分を大きく見せる、「強い音楽」である。

しかし、Creepy Nutsは違う。

彼ら、R-指定とDJ松永はいわゆる「ラッパー」とは対極の位置にいる、俗にいう「陰キャラ」。弱くて、ダサくて、かっこ悪い。そして、それに対して常にコンプレックスを感じている。世の中にも多くいることだろう。

彼らは、徹底的に自らの弱みと向き合う。コンプレックス、嫉妬、ルサンチマン。それらを受け入れ、ありのままに歌う。いわば「弱い音楽」だ。

足りない

俺には何か足りない

君にも何か足りない

きっと何かが足りない

足りない

飲みにケーション

(足りない)

ノリとテンション

(足りない)

求心力も行動力も要領も 

足りない足りない足り…

無い物だらけで

無い物ねだりな

最低のろくでなし

俺ら プライドにまみれて

ハートが壊れた

サイコなお友達

 

たりないふたり

 

やっぱ肩身狭いよな

あんなカーストの中じゃ

俺はあくまで脇役だった

溜め込んだ恨みや辛みやルサンチマン

思い出してきた

ほら古傷が痛む

白い目や笑い声や後ろ指が

ねじ曲げた人格 その結果"今"

美化されまくったヤンキー漫画じゃ

描かれなかった「迷惑かけられた側」

逃げる側 譲る側 笑われる側 負ける側 我慢する側 合わせる側

空気読む側 余る側 赤く染まるドブ川 眺め黄昏たところで 誰もいない右側

それでも いつか見てろと ほくそ笑んでた

俺にはコレがあるから コレがあるから

 

『トレンチコートマフィア』

 

 弱さを隠して強さを誇示するのでは無く、弱さを弱さのまま提示しする。それは我々の持つ弱さを肯定することにつながる。モテないこと、金持ちじゃないこと、生きるのが下手なこと…。全てR-指定の圧倒的ラップスキルとDJ松永のキャッチーなトラックで見事な芸術作品へと昇華する。

世間の「脇役」が、HIP-HOPという手段を使って「主役」へとのし上がる。

これまで光の当てられなかった「陰キャラ」たちに捧げる讃歌なのだ。

 

 

個人的な話をすると、自分はおそらく人よりも嫉妬深くて、色々損をしているなぁと思う。

街中の金持ちを見るだけで胃が痛くなるほどイライラするし、同世代ぐらいの男女が仲良さそうに遊んでいるのを見るのも耐えられない。

小学校から高校までサッカーをやってきたが、多くの時期でベンチウォーマーだった。最後の試合でみんながおいおい泣いている時に疎外感というか、一種の冷めた感情を感じたことをよく覚えている。それと同時に、嫉妬だって半端じゃなかった。

そんな時、「俺にはこれしかないから」と身を捧げられたのが受験勉強だった。嫉妬の感情を埋めるには、自分が何かで誇りを持つしかない。それで今、東大に入り、高校までの歪んだコンプレックスはある程度解消された。

しかし、東大に入ってからも悩みが消えるわけではない。むしろ増えたんじゃないだろうか。東大に入ると、東大生なのにそれに加えて〇〇ができる、みたいな人ばっかりになった。生まれ育った環境がそもそも愕然と違う、都会育ちの友人もいるし、勉強以外にスポーツやビジネスを極めている人もいる。帰国子女なんかに英語力で勝てっこない。それでいて自分はこの大学生活で何かを極められたわけでもない。勉強も努力しないので別に突出してない。劣等感、コンプレックスの塊だ。

それでいて東大に入ってからは女っ気が本当になくなった。単純に女子比率が減り、女子と話す機会が減った。彼女もできない。それでいて周りはなんだかリアルが充実してそうに見える。自分の性に関するコンプレックスは大学入学以降極限まで増大した。

あと、大学に入ってからインスタグラムが流行ったが、基本的に人の幸せ大嫌いな私は、インスタグラムが大嫌いだ。なぜ人の幸福ばかりを好き好んで見せられなきゃいけないのか。他人が楽しそうに旅行してるのが許せない。他人が男女でワイワイやってるのが許せない。他人が成功してるのが許せない。それでいて自分の幸福や成功は見て欲しくてたまらない。こういう歪んだ感情を自分でもメタ的に理解していたので、余計に苦しくてたまらなかった。

こんな有様だから、コンプレックスとルサンチマンで満載の大学生活だった。でも、Creepy Nutsはそれを肯定してくれているかのように感じた。それに、コンプレックスからくる他者へのヘイトを、Creepy Nutsはラップスキルに包んでユーモラスに皮肉ってくれるからそれも痛快だった。

 

HEY HEY Mr. リッチメン

いつもしたがえてる大勢のイエスマン

奴らお前自身じゃ無くて

お前のサイフにしっぽ振ってる

HEY HEY Mr. リッチメン

いつもはべらしてるべっぴんさん

奴らお前自身じゃなく

お前の預金残高とFuckしてるだけ

めちゃ羨ましい

金持ち皆くたばりゃいい(働け)

『紙様』

 

ホントはバカ騒ぎしたい

ホントはチヤホヤされたい

みんなの輪の中心で

男女問わずに仲良くやりたい

ホントはBBQも行きたい

ホントはサプライズもしたい

その写真をFacebookにUPして

メチャ「いいね!」押されたい

オシャレなカフェにも行きたい

並んでパンケーキ食べたい

頭の良さそうなことつぶやいて

リツイートされてみたい

アレもしたい

コレもしたい

それでも人の目が怖い

アレ足りない

コレ足りない

結局のところ自分が足りない

協調性 社交性 社会性

柔軟性 You know I'm sayin'?

主体性 積極性

強要すんなパイセン

ホントうぜーなお前

 

たりないふたり

 

自分がCreepy Nutsの歌詞に「救われた」と感じるように、同じ思いをしたヘッズも多いと思う。

そして、Creepy Nutsはそこにとどまらず、ルサンチマンを超越し、HIP HOPという「俺にはこれしかない」武器を片手にどこまでも高みを目指す。

 

武道館で歌った最初の曲が「スポットライト」、最後の曲が「グレートジャーニー」だった。どちらも武道館で聞いて大好きになった。それは、この2曲がルサンチマンを超克し、他の誰にもなし得なかった2人の姿を我々に提示してくれたからだと思う。武道館という頂点の地で。

 

俺は今決して替えの効かない存在

矢面に立って浴びるスポットライト

でも本当は昔からそうだった

あのベンチに座ってた頃から。なのに…

御託並べて斜に構え

蚊帳の外から眺める数合わせ

流れ流され人任せ

こびりついて取れねぇ

「どうせ俺なんて…」

勝つことも、負けることも

そして喜ぶことも まして泣くことも

出来ずどっか他人事

早く気付けよそこもガチンコと

はたから見れば小さなステージか?

取るに足らないありふれたページか?

そこは裏面?日陰?

知ったこっちゃ無いぜ

もうとっくに幕は上がってんぜ

クソな雑音ヘイト周りの目

全てシャットダウン己で舵取れ

I get the job done 全部任しとけ

俺のゲーム 俺だけのステージ

1分1秒の先まで

立ち止まっちゃ そこには何もねぇ

ならばどう転ぼうか確かめに行こうや

I'm No.1 player

元ベンチウォーマー

 

『スポットライト』

 

 

ヤマトとタクと俺ん家の裏

の田んぼで初めてしたサイファ

口ずさんでた替え歌が

韻に変わって俺のギャラ

チャリンコまたがり狭山へ

ヒロムも合流朝まで

あのカラオケのモノマネが

フローに変わって俺のギャラ

18ん時に会った松永

当時は確かハットに短パン

あのサンダルの足音が

ビートに変わって奴のギャラ

軽く天下取りますか

俺らならいけんとちゃいますか?

てな歌が生まれアルバムになって

ツアーで回って俺らのギャラ

 

『グレートジャーニー』

 

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